社会は厳しいについて追求してみる

マサカズです。以前、世間は甘くならないというような記事を書きましたが、今回は思っていることをすべてさらけ出してしまおうということで「社会が厳しい」は自分たちで厳しくしているのではという話です。

なぜ、この話をしようと思ったのかというと、政治家が不正にお金をもらっているというニュースや法律に違反しているニュースが多くなっているからなんです。

このニュースになんの関係があるの?

疑問に思うことですが、この話には様々な考察がたてられるわけです。

例えば、政治家が不正にお金をもらっているというニュースが有ったとすれば、不正にとはどんな状態なのかという話になります。

ここでポイントなのが、

なぜ政治家が不正にお金をもらっているのかという話です。

普通に考えれば、厳しい社会に何をやっているんだという話ですが、そんな人達がいるわけです。つまり何が言いたいかというと、この世の中は誰かが楽をするために他の人には厳しい社会で生きてもらおうという話なんです。

これこそが問題だと思いませんか。とある人達のために厳しい社会で働き続ける、生き続けることがすごく自分たちの人生を狂わせているということに気が付きませんか。

なんで、そんなことが言えるのかを見ていきましょう。

社会が厳しいって誰が言った?

社会が厳しいって言葉をよく聞く年になりましたが、誰が言っているのでしょうかと思うことがあります。自分の親、その身近にいる大人たちでしょうか。

多分、社会全体で言っていることなのでしょう。なぜ、そんな言葉が広まったのかについて考えていきたいと思います。

戦後

昔にさかのぼってみましょう。昔はそこまでものがありませんでした。特に戦後は太平洋戦争が終わったばかりでものがなかったそうです。この話はお年寄りの方から聞いたお話です。

ものがなかったため、手に入れることに苦労をしたみたいで、家も燃えている人もいるし、生活に必要なものがない状態が普通だったそうです。周りは焼け野原で食べるものもなかったため、配給によってとうぶんはご飯をもらっていたわけです。生活するのには厳しい時代であったと言えるでしょう。その後、段々と復興していったことでものが増えてきたわけですね

そして、高度経済成長時代がやってきて、一気にものが増えたり、お金の取引が活発になっていきます。こうして、日本が復興から発展していったことを知りました。

お話から見えてくる答えとして、

貧しいのだから我慢するしかない。厳しい時代を生きているのだからという思いがあったのでしょう。少しでも我慢することで経済が良くなり、現在の生活も良くなるはずだと言う考えが広まっていたのでしょう。

これこそが、この時代が貧しい中でものりこえられた要因でもあるかと思います。誰もが我慢をして、贅沢をしないことで国が良くなるはずだと。

100個ある食パンを1人1枚で配り、それ以上欲しくっても欲しがらないことで100人に100個分の食パンが行くことで誰もが満足するという話です。

だからこそ、我慢することが美徳だったのでしょう。

バブル時代

バブル時代になると環境が一変します。それはお金がありすぎる状態であることです。そして、1人が持っているお金の量が増えれば、お金の価値が下がります。そうすると物価が上がってしまいます。

1000円のお金でもたくさん発行することで誰もが持っている状態なので価値が下がるのです。

これは需要と供給のバランスによってなのですが、それに関しては以下のURLで確認してみてください。
https://manabow.com/hayawakari/hayawakari4_1.html

というわけで話を戻しますが、インフレになると物価が上がります。そして、多くのお金がないとものが買えない状態になるわけです。という状態でもお金がそこら中に溢れていた時代であったので、お金の心配がなかったともいえます。

何をしても問題がない時代とも言えますが、そんな時代がやってきたわけです。これがバブルの恐ろしさであったのです。働けば働くほどお金が入る時代で無理してでも働いたほうがいい生活ができるという幻想が長くつながることもなく、バブルが始める時が来るのです。

 

氷河期時代

この時代ではバブルの反動がやってきた年でした。今までは働けば働いた分だけお金が入ってくる時代でした。しかし、この時代ではいくら働いてもお金が入ってこない、いわゆるデフレ状態です。現在と変わらないものですね。

そんな時代にも辛い経験があったわけです。この時代も我慢の時代です。就職は困難、借金をした人が倒産するしかない。いわゆる厳しい時代であったと言えるでしょう。頑張ってもどうにもならないからどうすればいいのかといえば、我慢をするといった時代です。

あれ、戦後にも我慢すればどうにかなる時代がありましたね。ということは日本人は辛い時代になったときに耐えればどうにかなるという意識が植え付けられてしまっているとも言えます。

実際にバブルの時代も耐えたこと(我慢)によってやってきた時代という成功体験が受け付けられています。でも、現在は氷河期から少しは景気が良くなりましたが、デフレであることには変わりはありません。それは現実であるので、耐えたからといっていい時代が来るとも言えないことを証明していますよね。

ここでのポイントとして、

耐え続ける社会ではなく、挑戦し続ける社会へとかえていかなければ行けない事がわかります。辛いときだからこそ、乗り越えるために力を合わせる必要があるのです。

現代

現代では災害などや人災によって日本の経済が変わっていますね。リーマンショックや東日本大震災、熊本地震などの人災による不景気と、自然災害による一瞬で失う悲しい経験などが現代では起きていました。

そして、このような被害を受けながらも耐え続けることが正義であると植え付けられている、成功体験をしている日本では成長せずに他の国に抜かれるばかりになってしまっています。

確かに勝てる分野と勝てない分野がありますが、現在ではどうでしょうか。全てにおいて負けている点が多いのではないでしょうか。

世界の競争に負けてしまっているということは誰もがおかしいと言えない社会に問題があることはわかりきっていることでもありませんか。

それにこのような社会が厳しい社会へとなり、誰もが挑戦をしなくなってしまったことに問題があります。

最初の話に戻しますが、

社会が厳しいと思う人たちは今までの辛い時代といい時代、辛い時代を経験しながら、そこから見出した答えとして厳しい経験をした人が勝ち残れる社会だと思いこんでいることが問題なのではないでしょうか。

つまり、厳しいことを経験しておかないと辛い時代になったときには耐えられなくなってしまうから、つらい経験をする必要があるという考えに至るわけです。

このような考え方が社会に浸透していくと、厳しい人=正しい人、楽をしている人=悪い人というレッテルを貼られてしまうわけです。厳しい経験をしていないのだから一人前ではないという判断基準が適応されてしまうことにも繋がります。

これこそが、社会は厳しいという自分たちで洗脳をして、厳しくなければ行けないという基準でできるかできないかを判断するフィルターがかかるということです。

ここで質問

本当にそれって正しいですか。何故厳しくする必要があるのですか。普通に教えていけば理解してもらえるんじゃないですか。自分が厳しかったらから厳しくしなければ行けないのですか。

この質問にうるせぇーと答えた人や反論をしたい人は自分の意志を他人に押し付けているだけということに気づきましょう。

話を戻しましょうか。厳しいことを言いましたが、そういうことなんですよね。厳しい世界では過剰になる人がかならず現れることも考えましょう。

よくあるのがサービス業ですね。いろんなサービスが充実したせいで、過剰なサービスを受けようとする人も多くなりましたね。それも厳しさにも大きな影響があると考えています。

なぜなら、お客様の言うことは絶対という神様であるからどんな理不尽でも耐えなければいけません。それが常識であり通常のことであるからなんですね。

でも、それってお客さんを甘くさせていることにもなりますし、従業員が我慢をしているケースもあります。それが別のお店で爆発をすることを考えるとあまりお客様のために何でもするというものがいいとは限りません。

そういうところで厳しさを発揮してしまうとストレス社会になりかねないということです。つまり、みんなが助け合える社会にならないと現代のようなストレスばかりがたまる社会からは脱出できないかと思います。

厳しさにも限度がある

今まで厳しさがどんな弊害になることや今までの時代の違う厳しさについて書いてきました。最初に触れた政治家がお金を不正でもらっているということは上に対して逆らわないという精神もあると思います。それがお客さんと従業員の関係にも影響を与えています。

普通に考えてもらえばわかると思いますが、政治家は偉い人だから何してもいいという(お客さん)に当てはまるような気もします。逆に従うだけの国民(従業員)に当てはまりませんか。

ということはこの国を1つの企業で表せばお客さんと従業員の関係は偉い人が何をしても問題ないという事になっているのではないでしょうか。

要するに、誰かのストレスが違う人に伝染していくことになるわけですね。それが今の日本で起きている現状ではないでしょうか。

組織の中では文句が言えない分、他の場所で文句を言っていくことで問題が拡大していくということです。つまり、厳しすると人間は従うしかなくなったり、それが普通であるということからそれ以上の期待がない場合に反論したくなるということになります。

だから、厳しすぎることで誰かの首を締めることになるということを考えなければいけない時代になったと言えます。柔軟に厳しさとゆるさを使い分けないと行けない時代まで来たということですね。

なんか、大変な時代に生きているものです。誰かのストレスは誰かにストレスになってしまうという恐ろしい時代です。

まとめ

今回は厳しいだけが全てではないという内容でお送りしました。何もかも厳しければどうになる時代は終わったということです。

プロだから、アマチュアだからというククリとか、これはこうであるという考えが破滅を起こすことにもなります。

それは、支払っているお金やサービスを意識しなく、なにかのプロだからこうではなければ話にならないということが過剰なサービスへとつながっているということです。

過剰なサービスになるということは見合ったお金をもらっていないにも関わらず、サービスをしなければいけない環境ですから、大変になるわけです。低賃金で働くということ

そうすればお金を稼ぐことは一苦労である事になり、人々のサービスに関する意識も低下していくことにもつながります。それがストレスに繋がり、他のところにも伝染します。

そうならないためにもなぜ、この料金帯でできているのかを考えていかないと行けないのです。表で見ない部分でどうにかしていることが多いです。

過剰なサービスで企業努力をすることで苦しむのは経営者ではありません。現場にいる従業員の皆様なわけです。それを理解した上でサービスを活用していきましょう。

1人1人が意識していくことで変わることだっていくらでもあります。それを常にやっていくこそが消費者である私達、いや、社会で生きる人達に役目ではないでしょうか。

というわけでまとめとしては

厳しい社会は自分たちで作り出している。自分たちが厳しいと感じない世の中を目指せば、厳しくない社会が生まれる

ということです。

経済・ビジネスカテゴリの最新記事