語りブログ クオリティを求めすぎ

語りブログ クオリティを求めすぎ

今回のテーマはクオリティを求めすぎという話です。

社会人になった私ですが、少し変だなと思うことばかり起きるんです。それは学生から社会人になったのだから、当たり前でしょ。

なんて言われるかもしれませんが、本当にこのままでいいのかと思う次第です。

その一つとしてクオリティについてあげていきたいと思います。

クオリティを求める

クリエイティブな仕事以外にもクオリティを求められることって多くあると思うんです。

これくらいのことができないといけないとか言われますが、私はそこまで求めてどうするのと思ってしまうわけです。

それが何年ものやっていることで得意なことであればいいとは思います。

しかし、経験もない、得意ではないものにクオリティを求めてどうするんだと思ってしまうわけです。

「あの人はできているのに、あなたはできない」

これ、よく言われるフレーズですよね。これって、人格否定or個性の否定をしているんですよ。

よく考えてみてください。

あの人はできているというのは、その人に才能があったということなんです。つまり、真似できない何かを持っていたということです。

それをどのように近づけようと考えるのが教える人の役目であって、人を比べることではありません。ここを勘違いしている人が多すぎる。

比べたところで、上達なんてしないんです。

そんなことをしている暇があるなら、その人に近づけるようなプロセスを描いたほうが懸命です。それでも近づけなくても、自身を傷つけてはいけないんです。

あなたにはあなたなりの可能性があるのだから、頑張っても褒めてくれない人なんて離れてしまえばいいのです。人をバカにすることで生きがいにしているだけなのですから。

話がそれましたが、クオリティってすべての人が達成できるものとは限らないのです。その人にしかできないことだってある。
それを全体的に求めてしまうのは日本人の悪い癖です。

それこそ、クリエイティブな発想を潰してしまっていることに気が付かないのでしょうか。クオリティを求めるなら、それまでの過程を示すことしかありません。

誰もが同じ工程、同じやり方で成功するとは限りません。少しやり方が違う形で成功することだってあることを認める。

これが、クリエイティブな世界では必要な考え方でしょう。

クオリティばかりを気にする

何でもクオリティばかりを気にしているようでは先には進めません。そこまでのクオリティに達するまで結構な時間がかかると思います。

それを他人に教えたくないというのは正直な話でしょう。しかし、それを教えることで自身が楽になるとしたらどうでしょうか。

教えたほうが得することはたくさんありますよ。あなたの代わりに同じクオリティで再現をしてくれる、やってくれる、休んでいられる。

これがあなたが教えるメリットですよね。

そして、個性を潰さずに再現できるように教えること。これが、クオリティを求めるなりの対価ということです。

しかし、今はクオリティばかり求めて、対価を支払っていない人が多すぎる。自身が思うように動かないとものや人に当たるなんてひとも多くなっている。

これって、精神的な部分に何かを抱えているからではないでしょうか。自分は教わってこなかった、放置されながらも同じようにやってきたんだと。

だったら、弟子や部下なんて育てなければいいんです。だって、必要ないのでしょうと思うばかりです。

教えるつもりがない、対価を支払うつもりがない人から教わるなんて、教わる身もたまったものではありません。

なんのために、時間を使っているのかわかりませんよね。

指導者側からすれば、こっちだって使っているんだと言うでしょうが、時間は有限でもあり、同じように時間を使っているんです。

平等に与えられたものをその仕事が達成できるように、お金をもらうために会社や上司、先輩、師匠に対して支払っているんです。

だから、指導する側にもそれなりの責任があるということをもっと考えないと育つものも育たなくなる。

それでサービスの質が落ちたなんて話があるのかと思ってしまいますね。それ、指導不足ですからと。

つまり、クオリティを求めるなら、なってもらいたいような教育方法を見出すことから始めることですね。

私が許せないこと

いろんなことを勉強している身である私が許せないことは、偉そうな態度の指導者と横暴な教え方ですね。

私も経験がありますが、私が教えているのだから一度で覚えろみたいな感じですね。

「人、そんなかんたんに覚えられたら苦労するわけがねぇ―だろ」

こんなことを思ってしまったこともあります。本当に一度で覚えられる人なんてごくわずかです。だったら、そんな人を採用しろよとか思いますがね。

それに教えるってつかれる行為でもあるんですよ。能力がない人にやらせた日には指導される側が参ってしまうなんてこともあります。

そのくらい、教育って大変なんです。だから、教える気がないなら、教える立場に立つことなんてないし、一人で全てやり続けていればいいんですよ。

それが私が今まで思っていた全てです。

あれは大変というのなら、改善すればいいだけの話だし、それができないと言うなら思考回路停止しているということですよね。

同じことなんてないのだから、常により良くしていることが必要なのではと思いますし、決めつけるような風習がなくなればいいと思います。

この決めつけこそが、すべての可能性を全否定し、新しい可能性が生まれないわけです。それに気がついている人がどれほどいるか。気になる点です。

クオリティを求めすぎ

さて、タイトル回収と行きますか。そもそも、結果ばかりを見すぎていると最近思うんですよね。

結果だけ見ればすごいように見えて、実はそうではなかったなんて言うのはたくさんありますし、逆にプロセスが良かったけど、結果は良くなかったというパターンもあります。

日本の仕事では結構、結果を求められることが多い傾向にあるかと考えられます。しかし、それが本当に正しいとは言い切られないことだってあるのです。

料理に例えましょうか。ハンバーグを作るとして話を展開していきましょう。Aさんはレシピ通りに作り、Bさんはレシピを無視しました。

Aさん
ハンバークの作り方をレシピ通りに作ることに全力を注いでいました。分量も必要なものも全部入れ、作りました。
しかし、見た目は焦げ目も多く、あまり美味しそうに見えないハンバークでした。

Bさん
ハンバークのレシピをすっ飛ばし、ハンバーグってこんなふうにできているよなと判断しながら、自己流ですべてを考えていきました。分量や入れるものも無視、全てイメージで作り上げていきました。完成形はとてもきれいなハンバーグでした

この2つを比べたときにAさんは見た目が悪くっても美味しいハンバーグで、Bさんは見た目はいいがまずいハンバークでした。

この二人のそれぞれの特徴とは何でしょうか。そして、どのような例え話をしていると思いますか。

過程を重視したAさんと結果ばかりを求めたBさんのお話です。

Aさんはハンバーグをイメージで作りたくないと考えて、レシピ通りに作ることでどうにかしようと考えたわけです。だから、中身は美味しくできたわけです。でも、中身を重視しすぎるあまり、見た目を考えていなかったわけです。

結果よりも過程を重視したのです。

逆にBさんはハンバーグをイメージで作り上げることに専念して、自己流で完成させたわけです。そのため、見た目だけ繕ってしまったわけです。どんなに美味しそうでも、あまりばかりを固めることばかりで全く中身を見ていないので、中身がまずいという状態になってしまったわけです。

つまり、過程よりも結果を重視したのです。

ここからわかるようにどんなに見た目が悪くっても、中身が整っている方が後々問題にならないということです。

Bさんのように見た目を見ていたとすれば、中身が腐っていて、食中毒になることだってあるんです。

結果ばかりではなく、過程を見ることも必要なのです。これはどんなことでもそうで、結果ばかり追っていればいいやは今後のためにもなりませんし、衰退させる原因にもなりかねないのです。

結果を得られれば、何をしても構わない状態になれば、問題が起きる。

これこそが、クオリティを求めすぎた結果ではないでしょうか。Bさんのように外装ばかり気にしてしまい、中身スッカラカンみたいな状態になることだってあるのです。

それを行わないためにも、クオリティと求め過ぎを考えなければ行けないのです。

他人と同じことをすぐになんてできないのだから。

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